旅行・地域

鬼怒川温泉~♪

出張で栃木県の日光市にある鬼怒川温泉まで来ましたぁ~。

北千住から東部特急で2時間ほどで到着~♪ 090127_1554

                             

                           

                          

                          

                                             

                                                                 090127_1542日光といえば日光東照宮ですね~。
日光東照宮は江戸幕府の初代将軍、徳川家康を神格化した東照大権現を祀っています。
日本全国の東照宮の総本社的存在で、正式名称は「東照宮」ですが、他の東照宮と区別するために、「日光東照宮」と呼んでいるそうです。

そういえば、静岡に久能山東照宮があったなぁ~。

また、「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な3匹の猿がありますね。この「見ざる、言わざる、聞かざる」は幼いときには悪いことを見ない、言わない、聞かない方がいいという教えなんだそうだ。

へぇ~。。。 

周辺には、日光江戸村などもあります。 今度は観光でゆっくりと来たいなぁ~。(^^ゞ

都内に戻る電車まで時間があったので駅前の「足湯」に・・・。090127_1543
温か~い♪ 幸せ~な気分にしばし浸ります。

                                             

                                              

                                                 

                                                              

                                                                          

090127_1546 このまま足だけとは言わず、肩まで浸かりたい・・・。(+_+)

                                                        

                                                  

                                                 

                                                    

湯西川温泉 鬼怒川上流のせせらぎの隠れ宿 花と華 湯西川温泉 鬼怒川上流のせせらぎの隠れ宿 花と華

地域:鬼怒川・川治・湯西川
特色:≪送迎付≫トンネルを抜けるとそこは「白銀の雪景色」:【日光の秘湯】・【かまくら】・【雪見露天】・【囲炉裏特別料理】の宿
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大阪府吹田市・・・。

大阪府吹田市・・・。

大阪府吹田市に出張で行ってきました。
ここ吹田市は、大阪府中北部にある市。Jリーグ・ガンバ大阪のホームタウンです。

また、アサヒビール創業の地でもあるところ。
中でも有名なのが1970年に大阪万博(183日間の会期(1970年3月14日 - 9月13日)で行われた日本で最初の国際博覧会。別名:大阪万博、EXPO'70。)が行われ場所ですよね~。そう。あの『太陽の塔』があるのです。

『太陽の塔』は、大阪万博のテーマ館のシンボルとして建造され、万博終了後も引き続き万博記念公園に残された。岡本太郎の代表作の1つです。081208_1987

この『太陽の塔』の高さは65m、底の直径は20m、正面胴体の顔の直径は12mもあり、上部の黄金の顔の直径は10.6m、(黄金の顔の目の直径は2m)です。
『太陽の塔』には黄金の顔は未来、正面胴体の顔は現在、背面に描かれた黒い顔は過去の3つの顔を持っています。

何でこんなことを書いているのかと言うと、足下を見て関心!

                                                                                                         

                                                                                                                                       

081208_0918 ナンと、マンホールの図柄が『太陽の塔』なんですぅ。。。

これを見て懐かしいと思う人はそれなりの・・・(歳ですよー(+_+))

                                                                                                                

また、商店街の横断幕にも『太陽の塔』が。081208_1524。。

                                                                                       

あれから、38年。 『太陽の塔』は人気者でしたぁ~。  (^O^)/

                                  

                                                      

                                                      

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インクライン

インクライン

先日、京都に行ってきました。その時のことを・・・。

京都と琵琶湖を結ぶ水路は「琵琶湖疎水」と呼ばれているのです。
この「琵琶湖疏水」は、京都の水道用水の確保と、船での交通の充実を図るために明治時代に建設されたものだとか。。。P1020790

琵琶湖疎水の水は発電にも利用され、インクラインの近くには日本で最初の水力発電所が建設されました。特徴的な赤レンガ造りの建物は今も残されています。この蹴上発電所で発電された電力は日本最初の路面電車開業へとつながり、各家に電灯が灯ることになります。

そこで、インクラインをご紹介!

インクラインは、船が上がれない急な坂を貨車を使って船を引っ張り上げるための線路なんです。琵琶湖疏水が出来たことにより、琵琶湖から京都への水運が可能になってのですが、九条山より蹴上にかけて36mの標高差があり勾配が15分の1もあるためインクライン(傾斜鉄道)により三十石船をそのまま台車に載せて上下させたそうです。

P1020791 今は使われなくなった線路と記念に残された台車と船が、明治時代に京都を水上輸送都市にしようとした技術者達の夢の名残を、ひっそりと伝えているのです。

京都を水上輸送都市にするという壮大な計画は、た電車や自動車の普及で夢のままに終わることになりました。
それでも琵琶湖疎水は、今なお京都の人々に豊かな水の恵みをもたらし続けています。P1020792
また、インクラインも廃止されていますが、インクラインの桜並木、哲学の道を始めとする水辺に親しめる憩いの場として、南禅寺水路閣は文化財として、竣工110年を迎える現在も機能している琵琶湖疎水なんです。

泊まれるレストラン・オーベルジュへの誘い 京都府美山町 オーベルジュ・ナカザワ

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『えべっさん』

戎祭り

戎祭りに行ってきました。大阪では親しみを込めて「えべっさん」なんて呼ばれています。
商売繁盛の神様。毎年1月9日~11日にお祭りをするのですが、9日が「宵戎(よいえびす)」、10日が「十日戎(とおかえびす)」、11日が「残り福(のこりふく)」と呼ばれます。

僕が行ったのは、最終日だから「残り福」ですね。Img_0005

えべっさん」って言うのは、関西独特の言い方らしいです。

何でも、親しみを込めて言おうとする関西らしい表現。←飴玉も「あめちゃん」だし、芋は「おいもさん」ですしね~♪

ほんとは「恵比寿神」(大黒天)。七福神の一人なのです。『伊弉諾尊(いざなぎのみこと)』と『伊弉冉尊(いざなみのみこと)』の息子とされ、農業や商業の神様としても信仰されるようになりました。

(国生み(いざなぎ)伝説は、兵庫県の淡路島にあります。)

古事記では、
淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま): 淡路島
伊予之二名島(いよのふたなのしま): 四国
隠伎之三子島(おきのみつごのしま): 隠岐島
筑紫島(つくしのしま): 九州
伊伎島(いきのしま): 壱岐島
津島(つしま): 対馬島
佐度島(さどのしま): 佐渡島
大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま): 本州  の8つの島を生んだそうだ。。。

大阪は商売の町らしく、今宮戎神社に近い地名にえびす町・大国町なんていうのもあります。

でも、すごい人ごみなので、有名な神社を外してお参りに。。。

Img_0008                                                  

                                             

                                            

                                            

                                              

それでも参拝客は多かったデス。 福笹に甘酒♪

寒い中でしたが、これで今年は景気の良い1年になることを願ってきましたぁ。。。(^_-)-☆

                                                               

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『救世軍本営』

救世軍って知ってますかぁ・・・。081207_0829

先日、神保町に行った時に見つけました。
『救世軍本営』なんか厳めしい名前ですよね~。
ナンだろうと思い調べてました。

『救世軍』とは、イギリスに本部を置き、現在、世界117の国と地域で活動する国際的なキリスト教(プロテスタント)の団体ですって。。。

 1865年、イギリスのメソジストの牧師、ウイリアム・ブースは、ロンドンの東部の人々の救いのために働くよう、神の召命を感じたそうです。
 当時のイギリスでは、アルコール中毒、犯罪、不道徳のほか、貧困、失業、人口密集、その他の数々の社会悪が蔓延していたそうだ。
そして、いろんな宗派から来ているボランティアと一緒に行動するうちに、やがてキリスト教伝道会と呼ばれることになり、その組織と規律は軍隊の慣例に影響を受けて行ったそうだ。

 そして、1878年にウイリアム・ブースは「我々は、ボランティア アーミーではなく、サルベーション アーミー(救いの軍隊)である」という言葉を造り出し、そして、この運動は公にThe Salvation Army(ザ サルベーション アーミー 邦訳は「救世軍」)と呼ばれるようになんだって。
この「創立者」ウイリアム・ブースが大将となり、その後、階級、制服、記章などが取り入れられるようになったのだ。
 この運動はその発祥の国を越えて発展し始め、現在は、世界115の国と地域で活動しているとのこと。

そういう組織だったんだーと関心。

そう。以前に『社会鍋』を見たことがあります。

当時は良くわからなかったんだけれど、これも調べてみました。
『社会鍋」のルーツは、1906年に始まった「慰問籠」と言うそう。。。

これは、日露戦争直後で失業者が多かった当時、最も暮らしにくい年末年始のために、餅やミカン、足袋などをかごに入れて貧しい家庭に配った正月のプレゼントだったそうだ。

 1909年からは失業者救済対策として、アメリカの救世軍でおこなわれていた「クリスマス・ケトル(スープ壷)」と呼ばれる募金方法をヒントに、三脚に鉄鍋をつるして街頭募金をすることになり、1921年には、『社会鍋』と改称し、その用途も慰問かご配布から、冬季無料宿泊所、冬期給食活動、その他の慰問活動へと広がって行ったんだって。

改めて改めて関心!

今度、出会ったら募金してみたいと思います♪

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千代田区外神田2-16

東京第3弾!

神田明神です。
御茶ノ水周辺には、有名なところが湯島聖堂の他に神田明神がありました。

隋神門です。 081013_1241

神田明神の始まりは天平2年。
武蔵国豊島郡芝崎、(現千代田区大手町将門塚周辺)に創建されたそうです。

天慶3年(940年)2月14日に平貞盛・藤原秀郷と藤原為憲の連合軍と平将門の合戦が始まり、どこからともなく飛んできた矢が将門の額に命中し、あえなく討死したと伝えられています。
そのときの首は平安京へ運ばれ、晒し首となったそうです。今でも、「京都市下京区新釜座町四条通西洞院東入ル」には、「史蹟神田神宮」というのがあり、「天慶年間平将門ノ首ヲ晒シタ所也」とあるのだとか。←今度、行ってみたいと思います。

言い伝えでは討ち取られた首は京都の七条河原にさらされたが、何ヶ月たっても眼を見開き、歯ぎしりしているかのようだったといわれています。
そして、ある時、歌人の藤六左近がそれを見て歌を詠むと、将門の首が笑い、突然地面が轟き、稲妻が鳴り始め、首が「躯をつけて一戦させん。俺の胴はどこだ」と言い、その声は毎夜響いたのだとか。
また、ある夜、首が胴体を求めて白光を放って東の方へ飛んでいったと言い伝えられています。
だから、京都には首塚がないのです。
獄門が歴史上で確認される最も古い話が、この平将門だとか。

白光を放って東の方へ飛んでいったところ。そこが、武蔵の国。
首がに帰ってきたその地に塚を築き、葬ったのが将門塚です。

その後、、将門塚の周辺で天変地異が頻繁に起こることがあり、これを将門の祟りと恐れた当時の民衆を静めるため、時宗の遊行僧・真教によって神と祀られ、延慶2年(1309年)には神田明神に合祀されることとなったのだとか。

081013_1240
   
本殿です。


                                                                                                                                     
神田明神の「かんだ」は、首を斬られて殺された将門の胴体、つまり「からだ」が変化したものという説があります。

天正18年(1590)徳川家康は江戸に幕府を置きました。その後、元和2年(1616)には現在の場所に移築、江戸城の鬼門の守護神としたそうです。

歴史って奥が深いですね~(-。-)y-゜゜゜


だいこく様081013_1246

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満州へ No.3 帰国

大連 そして帰国・・・。

6:00起床。今日はいよいよ帰国する日だ。

大連の朝は、湿度が高いのかモヤっているようだ。

今朝の朝食は、外でマンドゥを食べることにしよう!
早速、支度してリュックを背負って出発。

お~。市場が出ている!
と言っても、箱の上に品物を載せてパラソルで覆っただけの簡単なお店。080823_0800

でも、こんな雰囲気が大好きなんだよな~なんて思いながら見て廻る。
野菜に果物、海産物もある。

                                                 

                                                  

                                                                  

080823_0758 そう、ここは大連。港町なんだ!
生きた渡りカニやえび。とこぶしや見慣れた魚がたくさん並んでいる。

ぐるっと一回りして、目的のマンドゥへ。
ラーメン屋の軒先で売っている『包子王(パオズワン)』へ

蒸篭から立ち上る湯気が食欲をそそる。
3個で1元(約17円)安い!

韮と猪肉(豚肉)そして牛肉を注文。こんなにも!って・・・。
ひとつが小さいのだ。

蒸したては美味しい♪ 中でも、韮包子がVery Good!

朝食に満足したとところで、残り時間をどう過ごすか検討・・・。

そうだ! 大連駅を見ていない。 ここは旧満州鉄道のあった大連。
この駅を見に行かなくては~。P1020675

お腹もいっぱいになったので、腹ごなしに歩いて向かう。
30分ぐらいで到着。
とても大きな駅。。。 2月に訪れた北京西駅と規模は変わらないぐらい。

                                             

                                                                                     

Img_01071 中に入ろう。 げっ!! セキュリティがあるのは承知していたが、チケットがなければセキュリティも通過できない。
なんてことだ。。。 北京ではチケットなしでも、セキュリティを通過し、駅内に入れたのに・・・。

                                               

                                                 

                                                                ここで、警備員に何を言っても無駄なのが中国。Img_0104 諦めて、チケット売り場をパチリ。

                                             

                                              

                                              

                                                後は、路面電車に乗りに行くことにする。
ちょうど、大連駅の前から、旧満州鉄道本社あたりまで行けそうだ。
101系統。
レトロな旧式がやって来た。 車内で揺られながら約15分。P1020679
停車場で降りる。 お~。対向からは新型のLRTが。あっちも乗ってみたいがもう時間がない。

P1020680

                                

                                

                                

                                       

                                     

ここからは歩いてホテルに戻る。
旧満鉄本社前を通過。 とりあえず一枚。P1020689

そこから北へ。 旧満鉄病院。そして日本人街へ。

P1020692                           

                           

                            

                                               

                                                

北東の方角に向かうともう少しでホテルだ。

路面電車を降りてから、約30分。歩き続けてホテルに到着。
いよいよ帰国。 今回の旅も終了です。

バスに乗り大連国際空港へ。 

約3時間後に関空に着陸。 お疲れ様でした。

さて、次は何処の街へ行こうか・・・。

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満州へ No.2 その2

旅順から再び大連へ・・・。

さあ、非解放区の旅順から戻ろう!
外国人である僕は、これ以上何処にも行けない。。。

来た道をバスでひたすら戻る・・・。 眠くなってきた。。。(@_@)
うとうとしているうちに、バスは大連へ。

大連に戻り、次は大連港に行くことにした。Img_0084

ここ大連港はシベリア抑留、また満州から舞鶴港へと引き上げ船が出た港。

                                                
                                                                     以前、母を連れて、舞鶴港の『引き上げ桟橋』を見に行ったことがある。
これで、ちょうど対岸に来たわけだ。

Img_0090                                                 
                                              日本へはここから、27万人もの人が引き上げて行ったそうだ。
                                              
                                              
                                                                  写真の青い屋根から向こうは当時のままだと言うこと。。。Img_0088

ここでも、歴史の舞台に立っているような。

                                              
                                                   
                                                                   さて、歴史続きでロシア人街へ行ってみる。
ここは、日露戦争で日本が勝利するまで帝政ロシアが支配していたところ。
ロシア風の建物が残っている。
Img_0091

でも~・・・。

行ってみると、お土産屋さんが両脇に店を連ね、なんだか、テーマパークみたい。

お土産屋さんを見に来たのではないけれど、以前から気になっていた「ニーハオ時計」を探すことにする。
(これは毛沢東が文字盤にいて、秒針替わりに毛沢東が手を振るってもの)

でも、ない・・・。 やっぱり2月の北京で買っておくんだったぁ・・・。Img_0093

仕方がないので、ロシアKGBのエンブレムのついたスキットルを買うことにする。
勿論、値切って。。。

HOW match? なに55元!! 高すぎる。。。

余り時間がないのでラストプライス30元でどうだ! OK!

ブラブラとしながら、中山広場へ。
今夜の夕食何にしよう。

悩んだ末、しゃぶしゃぶに。 ここ中国でもしゃぶしゃぶがあるのだ。
中国語で刷(文字が変換できないさんずへんに刷の文字)でしゃぶしゃぶを表し、後は肉の種類を表すのだ。
だから、羊だと刷羊肉。 牛だと刷牛肉。

結局、牛肉にした。それと、上海ビール。 

食べすぎだ~。Img_0100

と言うことで、百年城(太平百貨)を見ながら、ホテルに戻ることにする。

明日はいよいよ帰国・・・。

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満州へ No.2

旅順へ

大連2日目。
朝、4:30に起床。 外はまだ暗い。Img_0017

とりあえず朝からお風呂へ。 ややっ!お風呂のドレンが壊れている・・・。(T_T)

7:00 朝食 アメリカンブレックファースト:ブッフェスタイルらしいが、周りは全て中国人。
メニューは、中国風の野菜の煮物が中心のようだ。 白菜の煮たのが美味しい。でも、冷えたマンドゥがイマイチ・・・。 明日は外の屋台にしよう。(^o^)/

朝食後、再び周辺を散策。
朝市が出ている! 美味しそうなマンドゥも湯気を上げている。 明日はここだなぁなんて思いながら水をGet。さあ、今日は旅順へ。

8:50 旅順に向けて出発。

大連から旅順は片道約45km。約1時間ちょっとのドライブだ。

といっても、旅順は今も軍港。 一部の観光スポットを除き非解放区なのだ。
だから、街なかや港を外国人が散策していると公安に身柄拘束される可能性大。

トラブルはめんどうなので、観光バスで旅順へ。

広い道路をひたすら走る。 道路に並行してLRTが走っている。 あれに乗ってみたいなぁ。(+_+)

Img_00831

                                              

                                           そんなこと考えているうちに、旅順市内に到着。
                                             

                                                                  まずは、「東鶏冠山北保塁」へ。(ここは、観光客に開放されてるが入山するには許可証が必要。)Img_0027
ここは、東鶏冠山(←山の名前デス)に築かれた日露戦争時のロシア側防御要塞跡。
1904年の日本軍の第1回旅順総攻撃では、攻撃した日本軍は全滅したらしい。 ロシア軍の指令部の壁には無数の弾痕が残っている。。。

Img_0029                              

                                              どうやって、日本軍はここを陥落させたのか。
それは、トンネルを堀り、司令部の地下から肉弾戦で爆破したらしい。日本らしい攻撃の仕方だと思ったが、その攻撃で日本兵約9000人、ロシア兵は全滅したのだ。

                                                            

Img_0031

何とも、聞くだけで身震いしそうな場所。 いろんな思いを胸にバスに向かう。

                                               

                                             次に向かうのは、ここから北西にあるあの有名な「203高地」へ

途中、軍港があったが勿論、降りることは出来ないので車窓から。Img_0041
                                              

                                               

                                         

                                             

                                                               Img_0042 やや、大連駅があった! ここは、東清鉄道の終着駅。100年前の姿がそのまま残っている。
しかし、軍事訓練中だということで、バスの停車も許可されない。。。
ゆっくりと通り過ぎる車中から写真を一枚。

                                               

                                                                  旅順の中心街を過ぎ、バスは203高地へ。Img_00361

                                               

                                              

                                                 

                                                                Img_0051 ここ203高地は、旅順港を見下ろす絶景の場所にある。
日露戦争、最大の激戦地となったところだ。
1898年に帝政ロシアは清朝から東清鉄道の敷設権を獲得し、遼東半島の租借してからこの旅順に極東艦隊を配備したのだ。
その後、日本とロシアは、朝鮮半島と中国東北部(旧満州)の支配権を巡って衝突。日露戦争が勃発した。

日露戦争海戦後、ロシアのバルチック艦隊(司令長官:ロジェストウェンスキー)が極東方面に向け出航したため、到着までにここ旅順港を攻略する必要があった。
そのため、乃木希典将軍率いる帝国陸軍はこの「203高地」に総攻撃を開始したが、甚大な被害をこうむることになった。Img_0055

1904年11月26日に第3回旅順総攻撃が開始され、12月5日にようやく占領したも、この攻撃で、乃木希典将軍の次男も失うことになった。

また、「本日天気晴朗ナレ共浪高シ」の出撃命令で日本海海戦は、日本とロシアとの間で戦われた。
また、連合艦隊旗艦「三笠」(←今でも横須賀港にあります)へのZ旗を掲げた。「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」という意味の信号旗だ。

このロシアバルチック艦隊に対し、日本連合艦隊(司令長官:東郷平八郎)は、バルチック艦隊に対し訓練豊富で優勢に立ち、作戦参謀:秋山真之の緻密な戦略と計算によって、二日間の激しい砲撃戦の末、ロシア艦隊38隻のうちウラジオストクに辿り着いたのは4隻という潰滅的な打撃を与え、見事勝利をおさめたのだ。

当時後進国と見られていた日本の勝利は世界を驚かせ、ポーツマス講和会議への道を開いたということ。

乃木将軍はこの戦争の終了後、この高地に散乱していた砲弾を集め、山頂に「爾霊山」と記した記念碑を建て戦死社を弔ったのだ。
今でも、山頂にはこの記念碑が残っている。。。Img_0049

歴史の舞台の真っ只中に立っている。凄い・・・。

                                                  

                                                       

                                                    

                                                   

                                                   

                                                                 旅順、最後の訪問地。 「水師営」へ

Img_0081 ここは、「203高地」の陥落を受け1905年1月1日に帝国ロシア軍、旅順総司令官ステッセル中将から降伏の申入れがあり、翌日に日本側がこれを受け入れ旅順での戦闘が終了した。
                                             

                                                    

                                                                そして、1月5日にここ「水師営」で乃木将軍とステッセル中将が会見を行った有名なところだ。Suisiei_kaiken

                                               

                                               

                                              

                                               

                                                               この民家は元々日本軍の野戦病院として使われていたそうだ。ロシア軍委員控室が当時会見が行われたところ。ここ会見室にある木のテーブルは当時のまま残っている。(手術台だったそう。)Ryojun032

「203高地」とここ「水師営」はずっと来たかったところ。

さあ、大連に戻ろう!

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満州へ No.1

中国:大連へ

8月22日(金)
今日は朝、4:00起床。。。

そうだ、また海外に出発する朝が来た。
5月にパキスタンから帰ったばかり(とは言え3ヶ月半が経っているが・・・。)であるのに、もう日本を飛び出したくなった。

どこか壊れているのか、頭がおかしいのか日本にじっとしていられない(-_-;)。

でも、今回は3日間だけの旅。。。

6:20に自宅を出る。
自動車で高速道路をひた走り、関西国際空港へ。

10:35 搭乗。 今回は、日本航空JL799便 大連行。中国東方航空MU8730便との濃ーd0シェア便だ。

今回、初めて日本航空で海外へ出国。 いままでは第3国(失礼!)の航空会社が多かったせいか、チョット拍子抜けと言うか、海外へ旅立つ感覚が薄い・・・。

しかし、突然思いついたようにチケットを取った割には、安かったかなぁっと思う(^^ゞ。

現地時間(CST)12:00ちょうどに、大連周水子国際空港に着陸。Img_0001

                                                 

                                              

                                               

                                              

                                                                  ここは、中国東北部(旧満州)の港町。 北方の香港と呼ばれている港町だ。
日本と違い、とても涼しく過ごしやすい。 夏バテ気味の身体にはちょうど良い気候だ。

とりあえず、バスで中山広場へ。大連市中心部の道路は全てここから放射状に延びている。大連賓館(旧ヤマトホテル)と中国銀行大連分行(旧横浜正金銀行 大連支店)が向き合っているのは何ともいえない景色だ。Img_0007 Img_0008

                                             

                                             

                                             

                                            

                                                                  再び、バスで郊外の海辺にある老虎灘(ラオフゥータン)に行って見ることにする。
ここまでくると、潮の香りがして気持ちいい。 水族館もあったが、入場する時間もないので、海岸をブラブラと散歩する。
中国の軍艦が係留してある。 聞くともう使われなくなった軍艦を見学用に係留してあるようだ。

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                                                             やゃ・・・。 その横で面白い遊びを発見!P1020619
対岸からワイヤーを通して、そこに滑車を付けてこちら岸まで滑ってくるようだ。
体重の重い大人は、途中で着水しながら滑ってくる。

わはは。みんなビショ濡れ。 やってみたいな~と思うが、余分な着替えもないので断念・・・。                                       

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またまた、バスに乗車。 大連市中心部に戻る。
16:00 ホテルにチェックイン。
荷物を置いて、ホテルの近所を散歩する。
いつものごとき、スーパーマーケット(超市)を発見。 まずは、チェック。

Img_0012

おぉ~。 今まで欲しかった250V対応のA型プラグとC型プラグが併用できるマルチタップを発見。
16元(約16元×17円で272円)思わずGet!

これで、世界中で電化製品の使用が楽になるわ~♪と1人で満足。

他には、水(0.9元)と地元の黒ビール(2元)を買う。

さあ、今夜の夕食は、大連名物の海鮮料理だ。
いそいそと、『天天漁港』へ(大連市中山区人民路10号) うーん。ひらめのお刺身が美味しい♪

大連ビールも進み、2本も飲んでしまった・・・(^^ゞ

ここはお刺身になったひらめのアラをから揚げ風にして出してくれる。 これこそ、一度で二度美味しい~(^_^)v

お腹いっぱいになったところで、歩いて中山広場に戻る。

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途中、百年城(太平洋百貨)周辺をブラブラ。スタバがあったのでコーヒーブレイク(HOTが15元)

中山広場に到着。 CITI BANKのライトアップは綺麗だ。 でも、大連賓館はライトアップされていない。残念。。。

ホテルに戻るとしよう。

明日は、旅順へ・・・。

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東京モスク

  東京モスク

東京モスクをご存知ですか?P1020578

代々木上原から程近いところにあります。
このモスクは、オスマントルコの装飾様式のモスクとなっており2000年6月30日に開堂致しました。

東京モスクと言っていますが、トルコ様式の外観からも判るように、正式には「東京ジャーミイ(Tokyo Camii)と言います。ジャーミイはトルコ語でモスクの意味になります。

                                                            

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ここの歴史をちょっとご紹介すると、1917年のロシア革命の際、ロシア在住のトルコ人が満州を経て日本の東京にたどり着いたとのこと。

1938年には、日本政府の援助の下に初代のイスラーム礼拝場、東京回教学院を建設したそうだ。
その後、東京回教学院は、老朽化が進み1984年に閉鎖、1986に取り壊された。
この跡地が、「ジャーミイ再建」を条件に、トルコ共和国に寄付されることになったのだ。P1020586

一方、トルコでは1997年に、「東京ジャーミイ建設基金」が設立され、トルコ全土から寄付金を集め、集まった寄付金だけでなく、現在の東京ジャーミイの建設資材で、水とセメントと鉄筋以外のものすべてを日本に送ったそうだ。
また、トルコ本土から100人近い建築や芸術職人が来日し、一年間ほどこのジャーミイの建築や装飾のために滞在したとのこと。

中は礼拝所なので静かに見学させてもらう。
やっぱり、色んな様式のモスクを見てきたが、トルコ様式は美しいと思う。

しばしの静寂の中、こころを鎮める…。

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春本番です!

いよいよ春本番! 桜が満開になってきました~。Img_0004

今日は日曜日で快晴! それで桜が満開とくりゃ行くしかないでしょう。
と言うことで、京都の二条城に行ってまいりました。

二条城の外堀を越えると、梅林と桜の園があり、ソメイヨシノや枝垂桜が咲き誇っています。

ここで、二条城のお勉強。

Img_0031 二条城は、1603年(慶長八年)に徳川初代将軍徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営されたそうです。
その後、三代将軍、家光が伏見城の遺構を移すなどして、1626年(寛永三年)に完成したということ。

以前は五層の天守閣があったそうですが、1750年(寛延三年)に雷火により消失し、今はありません。

                                                                                                                               

                                                                                                                                                

現在の本丸は、1893~94年(明治26~27年)にわたって、京都御苑にあった、旧桂宮御殿を移築したものです。

ここ本丸は重要文化財に指定されていて、二の丸御殿は国宝です。

二の丸御殿には、有名な狩野派が描いた障壁画が数多くあります。Img_0030

1994年には世界遺産にも登録されています。

Img_0040_2                                                                                                                      

一年に一度、パッと咲き誇り、散りいく桜が大好きですね!

是非、来年はポトマック川に咲く、桜を見に行きたいな。

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中国の食材!

Kanton 2008年3月26日、生きた猫をそのまま熱湯で煮込むその名も「水煮活猫」という広東の名物料理を出すレストランが、湖南省にお目見えした。だが厨房から聞こえてくる猫の悲鳴に恐れをなし、客はほとんど寄り付かないという。長沙のニュースサイト「紅ネット」が伝えた。

「水煮活猫」の調理法は、まず生きた猫の頭を棒で殴り、瀕死の状態にさせる。次に、その猫を熱湯で煮込んだ後、毛と皮を剥ぐ。最後にぶつ切りにしてスープに仕上げれば出来上がり…。広東省では「滋養強壮」「精力増進」に効き目があるといわれ、人気メニューの1つとなっている。

だが、猫を食べる習慣のない湖南省の人にとって、これは残忍極まりない料理。店の看板を見るだけで、誰も中に入らない。中には好奇心に駆られて店の門をくぐるものの、調理場から聞こえてくる猫の悲鳴や血だらけの猫が鍋に入れられる光景に恐れをなし、箸をつけずに退散する客も少なくないという。店のオーナーは広東で修行を積んで腕に自信があり「水煮活猫」を“看板メニュー”にしていたが、開店わずか1か月であえなくメニューから外した。

畜産局の担当者によると、“食材”になるのは、残飯や鼠をエサとする野良猫の場合がほとんどで、寄生虫に感染する危険性が高いという。「不衛生なので、絶対に食べないように」と注意を呼びかけていた。
それにしても、本場広東省じゃいまも食べられているのだろうか…。

こんなニュースを目eyeにした。。。

ホントだろうか? 信じられない思いと、それがその地方の食文化なのだったら否定は出来ないという気持ちが交差する・・・。

日本だって、鯨を食べる文化があり欧米諸国からは、「クレイジー」と思われている。。。sweat01

宮城大学の国際センター専任教員アン・マクドナルド助教授は「食べていいものと、いけないものを決めるのは、まさしくその国の食文化。人間は生きるために何か生命を犠牲にしなければならない。文化の違いを感情的に言い合うと葛藤(かっとう)が生まれる。調査捕鯨で、科学的データを積み上げることが大切」と述べた。

皆さんはどう思われますかsign02

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世界一短い地下鉄。

“世界一短い地下鉄”がどこにあるかご存知ですか?A22

それは、トルコ共和国(Republic of Turkey)にあります。 
ここで、簡単にトルコ共和国を紹介しますと、

1.面積:8万㎢(日本の約2.1倍。東西約1,600km、南北約650km)
2.人口:6,649万3970人(2001年)
3.首都:アンカラ(1923年トルコ共和国成立時にイスタンブールから遷都)
4.言葉:トルコ語(以前はアラビア文字でしたが、現在はアルファベット表記)
5.宗教:99%の人々がイスラム教スンニ派
6.通貨:新トルコリラ(YTL)
                          となっています。

“世界一短い地下鉄”は、トルコのイスタンブールにあります。
イスタンブールはビザンティン帝国の、そしてのちにオスマン帝国の首都として、歴史的に重要な都市です。ボスポラス海峡をはさみ西はヨーロッパ、東はアジアに分かれ、まさに東西文明の十字路として発展した街です。

N2 イスタンブール市には、旧市街に新型トラムと地下鉄それとトルコ国鉄、新市街には“世界一短い地下鉄”と旧式のトラムそして最新式の地下鉄が通っています。

                                               

                                                           

                                                                    旧市街、スルタンアフメットジャーミィのそばにあるKn002044スルタンアフメット駅(停留場)です。

                            

                           

                         

                                                

                                                                      Toruko9_19スルタンアフメット駅から、終点に向かって2つ目にトルコ国鉄のシュルケジ駅があります。イスタンブールのヨーロッパ側ターミナル駅ですが、いまはちょっと寂れている印象を受けます。

Kn003047_2

                              

                               かつては、オリエントエキスプレスが到着していたそうです。
いまでも、この駅から国内列車とブルガリア、ギリシャ等に向かう国際列車が出発しています。

Turjeton1 ジェトンというコインを改札機に投入しホームへ入ります。
自動券売機はないので、駅のそばにジェトンを売る店がありそこで購入しなければ乗れません。

また、アクビルという料金をチャージして使うものがありますが、日本のICカードとは違い、小さな靴べらのような形をしています。はじめにデポジットを支払い、必要な分だけ入金して使用します。不要になったアクビルは、返却するとデポジットが返金されます。Ts73

“世界一短い地下鉄”はトルコ語でテュネルと呼ばれています。(英語ではトンネル。地下鉄だからといって、あまりにも直接過ぎる単純な名前とおもいませんか。)

Kn007008                                    

テュネルの改札です。
ここは、新市街を走る旧型トラムと同じ紙の磁気チケットを利用します。
このテュネル、なんたって2駅しかないのです。つまり往復するだけ。その間3分くらいでした。その割に、利用者は意外と多いです。
あとで気づいたのですが、この地下鉄は地下をケーブルカーのように坂を登っていくのものでした。この坂が歩いてみると相当キツイ。

この地下鉄は「世界一短い」と同時に、「世界で2番目に古い」らしく、なんでもパリの地下鉄を作るときの試作品だったとか・・。
(イスタンブールのテュネルは、1875年に造られたそうです。)

Kn007007 3分間の乗車で、終点テュネル広場駅に到着です。ここから、旧型トラムへの乗換が可能です。
テュネル広場駅の前にある停留所のようなところが、旧型トラムのシシハーネ駅です。
ここから、新市街の中心地タクシム広場までトラムが走っています。

Kn002014 もともとイスタンブールにはこのタイプの路面電車があちこちで走っていたそうですがバスに取って代わられたとのこと。
 ところが、1980年代に入って高まった景観保存運動の結果、このイスティクラール通りの路線が復活し、現在は新市街のシンボルとなっています。
ここが終点のタクシム広場です。Istan8

トラムの終点であり、ここから新地下鉄の始発駅にもなっています。
旧市街と違い、とても都会的な雰囲気でちょっと戸惑いました。
アジアとヨーロッパの架け橋と呼ぶにふさわしい街イスタンブールは東西文明の接点であり、見所いっぱいのすばらしい街でした。皆さんも、一度訪れてみてはいかかですか。。。?

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モスクとミナレット

 モスクは、いわずとも知れたイスラム教の寺院ですね。寺院といっても、崇拝する対象の像はなく(偶像崇拝が禁止されています。)メッカの方向を示すミフラーブと呼ばれる窪みがあるだけです。

本来は、礼拝堂と訳されるのがいいのでしょうね。
アラビア語ではマスジド(masjid, 「ひざまずく場所」の意味らしい)といいますね。

対して、ミナレットは、モスクにあり、礼拝時刻の知らせる(アザーン)を行うのに使われる塔です。ミナレットはトルコ語のミナレ(Minare)にからきている名称で、アラビア語ではマナールとかマナーラと呼ばれています。

モスクには必ずミナレットが建てられるものって感じがありますが、ミナレットをもたないモスクもあるようです。

特にエジプトの田舎にいくと、モスクの横ちょに電柱が建ててあって、そこからスピーカーでアザーンを流しているところもありました。アザーンをダウンロード

今、世界にイスラム教徒(ムスリムと言います。)の方達が11億人と言われています。世界の5人に一人以上がムスリムという訳です。 日本にいるとそうは感じませんが。。。

このモスクとミナレットですが、少しだけご紹介したいと思います。

まずは、日本の神戸ムスリムモスク。 Img_0010_2

ここは1935年に日本で初めて建築されたモスクです。

                                                

                                              

                                                                      

 

Niujie_mosques02 次はお隣、中国の北京にあるモスク。牛街清真寺です。ここは北京に現存する最古のモスクで996年に建てられました。中国のモスクは、ドームの屋根を持たず、ミナレットも中国風なのが面白いです。

Img_1345

香港にもモスクはありました。 ここはヒルサイドエレベーターを

登りきったところにあるモスクです。(回教清真礼拝総堂って書いてありました。)

                                                   

                                                 

                                                   

                                                       西蔵(チベット)自治区拉薩(ラサ)市の西蔵清真大寺は、10世紀中後期に建造されまし108_0803 た。
中国らしい門ですが、モスクは中東で見るような形でした。

                                                    

                                                   

                                             Kn001001                     シルクロード終着点のイスタンブールには特徴的な6つのミナレットを持つスルタンアフメット・モスクがあります。イスタンブールには、イズニックタイルを使用した大変美しいモスクがたくさんありますね。

Kn007009

                                            

                            

                                                

                                               

                                                                 ここは、イエメンの砂漠の摩天楼都市。シバームにあるモスク。

Img_0203

旧市街の城門を入ったとこにあるアル・ラシッド広場奥にある金曜モスク。904年に建てられたものらしいです。

                                              

                                            

                                              最後はエジプトのカイロにある、ムハンマド・アリ・モスクとイブントゥルーンモスク。

Photo ムハンマド・アリ・モスクはシタデルという城塞の中にあり、このモスクはエジプト紙幣の20ポンド札の図柄にもなっています。

                                               

                                                    

                                       Photo_2                             イブントゥルーンモスクは、9世紀後半のイブントゥルーン朝時代に建設されたモスクで、 建設当時の姿をとどめているもっとも古いモスクです。ここのミナレットはカイロで唯一外側に螺旋階段を持っているのが特徴。

如何でしたか。 もっとたくさんご紹介したいのですがきりもないのでこの辺で。

まだまだ、世界中には特徴的なモスクがあります。 イランやウズベキスタンあたりのモスクも是非見てみたいと思っています。

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「南大門」が炎上した!

「南大門」が炎上した!

今朝起きてTVを見てビックリしました。(゚o゚)After_fire

あの、韓国の国宝である「南大門남대문」(ナムデムン)が炎上し、焼け落ちたのです。
ホントの名前は「崇礼門숭례문」(スンネムン)と言います。「南大門」は一般的な愛称とのことらしいですね。

韓国に行かれたことがある人は、一度は目にする「南大門」。
この門はソウルの中心にあって、服飾や食器いろいろと売っている「南大門市場」(ナムデムン・シジャン」の直ぐ傍にあります。
1398年に、城壁都市であった当時の漢城(ハンソン)の城門として建てられた門のひとつで、朝鮮王朝最古の木造建築で門の中では最も大きいものです。国宝第1号に指定されています。

今朝の朝鮮日報では、「韓国のプライド、焼け落ちる!」みたいな記事が一面を飾っていました。

ここには、スプリンクラーの設備は無かったようですね~。

昨日、3連休の人ごみの中、京都の鹿苑寺(金閣)に行ってきました。Img_0002

ここも、1950年(昭和25年)、学僧の放火により炎上・焼失し、現在のものは再建されたものですが、ちゃんとスプリンクラーが設置されていますし、先日の文化財防火Dayには奈良の法隆寺のスプリンクラー作動の様子がTVで報道されていました。

旅行好きの僕としては、後世に残しておきたい世界文化遺産や国宝がこうして失われて行くことは残念だなぁと思います。(T_T)

最近(随分、前になりますが…。)アフガニスタンにあるバーミアンの石仏群がアルカイダ率いるタリバンによって爆破された時は衝撃的でしたね。
(まだ、見に行っていないのに!と言う怒りとともに。。。)(^^ゞ

写真は、2003年に訪れた際の「南大門」の様子です。Dscn0114

復興するまでに、少なくとも5年はかかるそうです。
出来る限り早い復興を願っています。

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『寺田屋』

 今日は、連休の2日目! 

雨も上がったので、京都の伏見にある『寺田屋』に行って来ました。Dscn1172

  この『寺田屋』は、京と大阪を結ぶ通船「三十石船」の京側の発着地として、伏見に「寺田屋浜」という船着場を持っていた大きな船宿でした。江戸時代には通運で栄え、1594年(文禄三年)に伏見城築城の建築資材を運び込むために大規模な宇治川の土木工事を行い、港を築いています。この時の川幅は約85m在ったとされています。今では、埋め立てられて川幅は狭くなっていますが、当時の面影を感じ取ることが出来ますね。

 Dscn1174 この時の大阪までの船賃は三百文(おそば一杯が十六文の時代だから随分と高かった。)で、その2割が船宿の収入として入ったというからかなり儲かっていたようです。

  この、『寺田屋』は薩摩藩の定宿で、坂本竜馬も定宿としていました。

 また、「維新は寺田屋の一室より生まれたり」と言われるように、明治維新のメインステージとなったところです。文久二年(1862年)に討幕急進派が寺田屋に集まって、決起を企てた「寺田屋事件」は有名です。屋内には龍馬の部屋もそのまま残っており、Dscn1162 柱には刀傷もそのまま保存されています。また、庭の前には寺田屋事件で散った薩摩九烈士の碑や坂本龍馬の銅像などが建っています。Dscn1167

 もう一つは、「坂本竜馬襲撃の舞台」となりました。慶応二年一月二十三日(1866年)に宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕らえようとした事件です。この時、龍馬は機転をきかせたおりょうさんの行動(お風呂から裸のまま2階へ階段を駆け上がり危機を知らせた。)ことで囚われの身となることなく逃げることが出来たという話。おりょうさんとの恋の宿とも言われています。Dscn1168

 『寺田屋』と書かれた軒提灯を吊るしていることからも、現在でも泊まることがでるのですよ。ただし、坂本龍馬の部屋(梅の間)は見るだけです。泊まることは出来ません。

Dscn1154 幕末の歴史を感じる一日でした。

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日本の秋。。。

日本の秋。。。

日本の秋と聞いて何を思い浮かべますか?

そう、紅葉です。朝晩冷えるようになりそろそろ紅葉も見頃かなということで紅葉狩りに行ってきました。

今日は、少し遠出をして京都・高雄の神護寺へ。

高雄と言えば、名所・嵐山から周山街道(かつては福井県小浜から京都へ鯖を運んだ鯖街道)を北に少し入ったところです。

周りには、尾張小牧、福井、岐阜、名古屋ナンバーの車も多く見られます。2~3時間ぐらいで来れるのかな。

このお寺は、平安京造宮の大夫であった、和気清麿公が『高雄山寺』として建てたのが始まりだそうな。

その後、お隣の滋賀県は比叡山延暦寺の最澄(伝教大師)や空海(弘法大師)を招いて平安仏教の発祥地となったところらしい。(そう書いてあった。。。)

実際にはと言うと、清滝川から長~い石段を登りつけると。。。Img_0024

おお~・これぞ日本の秋です! 綺麗なもみじとかえでが色付いています。

ここは金堂。国宝の薬師如来があるところ。

でもNo Photo。。。 Sorry! お見せできません。

Img_0027

 日本の仏様は改めて見ると、穏やかな伏せ眼がちなお顔をしています。

チベット仏教は眼を見開き、おどろおどろしい姿の仏様が多かったし、タイではおめめぱっちりの仏様だったし。。。

                                                  

仏教って一口に言っても、その国々で色々な表情や姿があって面白いです。

いつか、シルクロードの西域にいって、ギリシャやローマの影響を受けた仏様(西洋人ぽい)を見てみたいなぁ。(パキスタンあたりだと見れるかな??)

ここは、金堂の裏にある多宝塔。中には入れませんでした。Img_00281

ここも、もみじが周りの景色とコントラストをなしていて綺麗です。

Img_00291_2

                                                                      

                             

                                             日本の秋って綺麗ですね。でも、この季節が終わるとすぐに寒い冬がやってきます。

寒いのは好きではないけれど、雪が降るとまたそれは綺麗なんですね。

京都は四季折々に楽しめますよ。♪Img_0037

皆さんも紅葉狩り如何ですか?

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ツタンカーメン

ツタンカーメン王のミイラ、素顔を初めて公開!

 エジプト当局は11月4日、ルクソール近郊にある「王家の谷」に眠るツタンカーメン王のミイラを墓から取り出し、展示用のアクリルガラスケースに移した。作業はテレビで生中継され、5日から一般公開される見通し。
 一般の訪問者にツタンカーメン王の顔が公開されるのは初めて。
 ツタンカーメン王のミイラはこれまで、石棺の中にある金箔(きんぱく)を貼った棺に安置されていたものの、多くの観光客の訪問による湿度の上昇が、ミイラを損傷する恐れがあるという。
 墓は1922年に発見された。Tuto

とニュースになっていた。すごいな。この王墓は1922年ハワードカーターによって発掘され世紀の大発見となったのはご存知のとおり。(この後、この発掘にかかわった人々が謎の病気で亡くなったので「ミイラの呪い」じゃないかって騒がれたそうです。)

ツタンカーメン王(ほんとの呼び名はトト・アンク・アムンって言います)の王墓はKV62。(King valleyでの62番目の意味)ここは未盗屈で発見されたのですが、ミイラは4層構造の木棺に引っ付いていたのと保存状態が良くなかったので、石棺に入れ黄金のマスクを被せてそのままの状態でKV62に安置されていました。

僕が訪れたときもそうなっていたのですが、写真はもちろん禁止。中ではおしゃべりも禁止。なんたって、エジプトの王が眠っているのですから。。。

同じようにカイロのエジプト考古学博物館のミイラ室も写真&おしゃべりは禁止です!

ツタンカーメンのミイラの顔が公開され、今回の報道写真で見ましたが、興味本位の部分ともう一つは「そのままそっとしておいても良かったかな」と思いましたね。

ツタンカーメン王は少年で王となり、若くして亡くなったのだけれど、王墓にある姿は、王妃アンケセナーメンからの花束(埋葬された時のもの)を胸に抱き、静かに眠っていたのですから。。。

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ラマダーン②

ラマダーン・ムバラク!

ラマダーンが始まって、約2週間が過ぎました。休日なので神戸にあるモスクを訪問することにしました。神戸モスクは、日本に現存する最古(1935年(昭和10年)建築)のモスクです。伝統的トルコ建築を基にインド人建築家により設計され建造されました。開館式には当時の神戸市長も参加され、そこに集まった全ての神戸のムスリム達への演説の中で、神戸モスクを「日本のメッカ」と呼んだそうです。 Img_00091s

神戸モスクに行って見ると、ラマダーン中だからでしょうか。ひっそりとしていて誰もいる気配が無かったのです。扉も閉じられていました。中でお祈りをしているのかも知れません。
以前、訪問した時はエジプト出身の方にプレーヤーズルームを案内していただいたのですが。。。

                                                

                                            

                                                      

Img_00101s ということで、モスクの近所にある神戸グロサーズでデーツを買って帰ることになりました。 神戸モスクを出て右に曲がり、最初の信号を右に曲がって進むと左手にあります。ハラールとハラームの商品があります。(住所:兵庫県神戸市中央区山本通2-19-2)

おまけに神戸元町・北野にある寺院を紹介!

まず、ジャイナ教。
日本で唯一のジャイナ教寺院の「バグワン・マハビールスワミ・ジェイン寺院」は神戸北野の異人館街の中にあります。寺院のパンフレットによると、起工が1984年、落成が1985年で、神戸在住の信者の方がお金を出し合って建立したそうです。Img_00111s
ジャイナ教とは、釈迦が仏教を興したころに、同じくバラモンの教えを批判してマハーヴィーラーが興したインドの歴史的宗教で、不殺生の誓戒を厳守するなどその徹底した苦行・禁欲主義をもって知られています。
仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったのですが、国内に深く根を下ろして、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続けているそうです。

次に関帝廟。(関帝廟は、台湾にも中国:成都にもあった。)

神戸の関帝廟は、「南京寺」とも呼ばれますが、その正式寺名は「慈眼山長楽寺」です。
1888年4月、大阪府布施市にあった長楽寺が廃寺になるのを、現在の神戸市中央区中山手通7丁目53-1に移し、関帝、十一面観音、天后聖母を祀ったのが関帝廟の始まりとされているそうです。Img_00081s
ここの関帝廟は、台湾や中国:成都で見たものよりも規模は小さいですが、ここは静かでいいですよ。

Img_00041s

最後に生田神社。

俳優の藤原紀香さんとお笑い芸人の陣内智則さんが2月に結婚式を挙げたことで、「縁結びの神」として全国から注目を浴びた生田神社です。「縁結び」は神社のもともとの御利益ではないそうです。Img_00121s
生田神社は約1800年前に建てられたとされていて、祭られているのは女性の神様「稚日女尊(わかひるめのみこと)」。本来の御利益は「健康」と「長寿」だそう。ところが、神前で結婚式をする風習が広まり、生田神社でも多くの男女が式を挙げるようになると、女神のイメージも重なって、いつしか縁結びも御利益とされるようになったということでした。

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和歌山電鐵貴志川線って知ってますか?

  今日は、和歌山電鐵貴志川線をご紹介♪

 和歌山電鐵貴志川線は、JR和歌山駅から伸びている私鉄線で、以前は南海電気鉄道株式会社貴志川線といっていました。

 ここも他のローカル線と同じく、ローカル線の赤字問題から廃線という問題に直面していたのですが、地元住民は、サポーター制度を立ち上げ存続を希望したのです。
 この、サポーター制度はNHKの「試してガッテン!」という番組にも紹介され、地元のサポーター努力もあり、存続されることになったのでした。そして、平成18年4月1日より和歌山電鐵株式会社が引き継ぎ、わかやま電鉄貴志川線としてスタートしたのです。

 そして、面白電車の第1弾として平成18年8月6日に、シンボル車両として「いちご電車」とを作成し、「日本一心豊かなローカル線」をスローガンに走り出したそうです。P1020171

                                                 

                                                

               P1020173                                             

                              

                                               このいちご電車は、内装がウッドで統一されておりそれにいちごのデザインがマッチしています。ね!なかなかかわいい内装だと思いませんか?P1020174

                              

                             

                                                 

 また、この電車は、和歌山駅から貴志駅まで、14駅を約30分で走るのですが、終点、貴志駅の駅長さんは、なんと「ネコ」なのです。貴志駅の駅長さんは「たま」で助役さんは「ミーコ」と「ちび」という名でした。

(日曜日は休み)P1020180

   P1020179                                                  

                                             

 

                             

                                  

                                                                     この、和歌山電鐵貴志川線には面白電車がもうひとつあります。
平成19年7月29日から走り出した、「おもちゃ電車」です。P1020183
P1020191                                                 

                                             

                                                

                                             

                                           

 この電車は、車内におもちゃの展示場や販売コーナーがあるのです。P1020196

P1020197                                        

                                   

                                       

                                     

                                                                   また、内装も「いちご電車」に負けず劣らず「おもちゃ電車」の名に負けないぐらいかわいい電車でした。(今日は祭日なのでおじいちゃん・おばあちゃんに連れられたガキンチョで一杯!)

では、また、おもしろい電車があればご紹介しましょう! Img_00092

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ラマダーン

"ラマダーン・カリーム!"

今年、ヒジュラ暦1428H(西暦2007年)のラマダーンは9月13日(木)から始まりました。

ラマダーンはイスラームにとって5行のひとつで断食が行われる月。日の出から日没まで一切の飲食禁止。しかし、日没後は何を食べてもいいのでめいっっぱいのご馳走を食べるそうだ。
この1ヶ月の食料は消費は普段以上で砂糖や小麦の量は数倍以上になるといいます。

ここで、イスラームの5行とは。
(1)信仰告白
 「アッラーのほかには神はなし ムハンマドはアッラーの使徒である」と心から信じて唱えることをいいます。
(2)礼拝
 夜明け、正午、午後3時前後、日没時、夜の5回、義務の礼拝を行います。礼拝の時間が来ると、「アザーン」が行われます。規定の時間が来てもすぐさま礼拝できなくとも、少し遅れて礼拝を済ませることが可能です。モスクに限らず、どこで礼拝しても良いことになっています。また、集団で礼拝できない時には、一人だけで礼拝することも可能です。
(3)喜捨
 アラビア語では「ザカート」といい、貧しい人などこれを必要とする人たちに分配されることが決められています。ザカートを自分の収入・財産に応じて支払うことが義務となっています。ムスリムたちはこのザカートを通じて助け合い、お互いを大事に思いやる精神を育みます。
(4)断食
 ムスリムにとって義務とされているのは、ラマダーン月(ヒジュラ暦9月)に行う断食です。実際には食事を断つ他に、性的な欲望を断つことも含まれています。また、「斎戒」という日本語を訳にあてる場合もあります。断食は暁の礼拝前(つまり、日の出前になります)から日没時まで行われます。しばしばこの断食が唾も飲めない苦行であると誤解されがちですが、ムスリムは断食を通じてアッラーへの信仰を深めるとともに、人々と日没後の食事を楽しみ、幸せに満ち充実した1ヶ月を送ります。このラマダーンを何ヶ月も前から楽しみにしている人も多いのです。
(5)巡礼
 イスラームの聖地マッカへ巡礼することは、健康に恵まれ経済的に余裕があるものにとって、一生に一度行うことが義務とされています。巡礼(ハッジ)はイスラームの暦であるヒジュラ暦の12月に行われ、世界中から巡礼者が訪れます。ムスリムたちはみなこの巡礼を行える日が来ることを願いながら毎日を過ごしてます。

 ラマダーン月の始まりと終わりは新月の観測によって決まります。これをルーヤ・アルヒラールと言います。現代は計算によっておおよそのラマダーン月の始まりは分かりますが、実際の始まりは肉眼で観測して決定します。

 イスラームの暦は月をもとにしているので、一日は日没から始まります。ムスリムの多い地域では、シャアバーン月(イスラーム暦8月)29日の日没後に子供も老人も建物の屋上や山の上に登って一心に目をこらして新月を見つけようとします。もしそれでシャアバーン月の29日に新月を見つければ、ラマダーンが始まり、その夜からタラウィーフのサラートが行われ、翌朝からサウムが行われます。新月はとても細く、また地平線の上に登っている時間は日没直後の短い時間なので、天気が悪かったり空気が澄んでいなければ月を見つけるのは難しいです。もし誰も月を見つけることができなかった場合、シャアバーンの30日を終えてからラマダーン月が始まります。

日が沈むと、その日のサウムは終了です。日没後すぐになつめやしの実かミルクか水などを摂ってサウムを解きます。この食事をイフタールと言います。イフタールを始めるまえに、次のように唱えるのが預言者(彼の上に祝福と平安あれ)の実践です。

「アッラーフンマ ラカスムト ワビカ アーマント ワアライカ タワッカルト ワアラーリズキカ アフタルト ビスミッラーヒ ラフマーニ ラヒーム」

(意味:アッラーよ。あなたのために私はサウムしました。あなたを私は信じ、あなたに私は頼ります。そして今私はこのサウムを、あなたから来る食べ物によって破ります。慈悲あまねく慈悲深きアッラーのみ名において)

 その後、マグリブ(日没後)のサラートを行ないます。マグリブのサラートを終えてから、各人の好きなように十分な食事をとります。夜の間は普通と同じ生活ができます。けれどもその時に、昼間食べなかった分を埋め合わせようとして一度に食べ過ぎないように注意したいものです。「adhan_fajr_makka2.ram」をダウンロード (アザーンです。)

ラマダーンにはイスラームに行ったことはないけれど行きたいなぁ~。

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日本三景:松島より

9月12日(水)

やっと。会議が終わった。。。9日の16:00にホテルについて、今日まで71時間の缶詰状態。一歩もホテルの外に出なかった。

せっかく、日本三景:松島までやってきたというのに・・・。

しょうがないので、ロビーでもらった地図を基に松島一帯をご案内~♪Map

まずは「松島」 

「松島」が、「宮島」、「天橋立」と並び日本三景の一つと言われたのは1714年頃、江戸幕府の儒学者林羅山の三男である林春斎がその著書 「日本国事跡考」で、「日本三処奇観」と記したのが始まりだそうな。
松島湾には、蓬莱島・仁王島・千貫島・よろい島・鐘島・双子島等の大小260余の島々があるということ。。
松島の地名は、鎌倉時代に後鳥羽上皇が千本松を雄島に贈り、松が茂ったので「松島」の地名が生まれたんだって。へぇ~。Oshima0

次に「瑞巌寺」 

828年に慈覚大師の円仁によって開創された奥州随一の禅寺で、伊達政宗公の菩提寺。正式には臨済宗妙心寺派・松島青龍山瑞巌円福禅寺。現在の建物は、1609年、 政宗公が桃山様式で5年の歳月をかけて完成させたものらしい。Zuiganji1

続いては「五大堂(国重要文化財)」

五大堂は、807年に坂上田村麻呂が東征のおり、毘沙門堂を建立したのが最初。後に、慈覚大師が延福寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、大聖不動明王を中心に、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれているのだ。Asset11

後は調べてね~♪

ということで、帰るとするか。

                                                                           Dscn1129_2                                                                                                                            車窓から松島を撮る。写真はこれだけか。。。

仙台空港から、ANA738便に乗る。Dscn1134 

                               

                           

                            

                              

夕日に映る仙台空港が綺麗だ。またゆっくりと来よう!Dscn1133

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日本三景:松島へ

9月9日(日)

イエメンから帰国して、まだ1ヶ月足らず。既に仕事モードで毎日動いている・・・。

そんでもって今日は日曜日だと言うのに、明日からの会議のため出張。。。

でも、行き先が日本三景の松島!(宮城県には仙台の七夕を見に行った事があるけれど松島は初めて♪)

最近、国内線は神戸空港:スカイマークばっかりだったが久しぶりにANAに乗るために

大阪国際空港へ。ANA735便で一路、仙台空港へ行く。Dscn1113

フライト時間は、約1時間。あっという間に仙台空港へ。(国内線は、のんびりとしている間がない。)

おやっ?エバー航空が着陸してきた!

ここは国際空港なんだ!ちょっと感心しながら2007年3月に開通した仙台空港鉄道でJR仙台駅に向かう。

Dscn1114中部国際空港のセントレアに似たデザインの電車だが、2両編成しかない。。。

点をつけるなら、もう少し頑張りましょう!ってところ。

仙台駅から東北本線に乗り換え、松島に向かう。ローカル線で約30分で到着。Dscn1119

                             

                                              駅に降りると、超ローカル駅。日本三景:松島だからもっと立派な駅を想像していたのに拍子抜けって感じ。聞くところによると、JR仙石線 松島海岸駅の方が立派じゃないかって。(時間があったら帰りに寄ろう♪)

Dscn1121 ここから、バスに乗って松島海岸へ。

今日はお天気がイマイチ。。。明日は晴れるかなぁ。でも・・・明日から3日間ここで缶詰状態で会議だ~。

観光する間はないのかな。。。 でもDscn1122ガンバロー!

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「ひこにゃん」って知ってますか?

「ひこにゃん」って知ってますか?

 今日は、出張で滋賀県彦根市にやって参りました。ここ彦根市では2007年に築城(開始)400年を迎える彦根城の「国宝・彦根城築城400年祭」という記念イベントをやっていて、そのマスコットキャラクターが「ひこにゃん」と言います。

== ひこにゃんのプロフィール ==
*性別…特に決まっていない。見た人の心に映ったままに。Hikonyan
*出身地…彦根城
*好物…魚全般、カニ、お箸で切れるお肉
*趣味…お城を散歩すること
*特技…ひこにゃんじゃんけん、鈴叩き、正座(ただし起き上がれない)、コマネチなど
*目標…400年祭を成功させること

らしいのですが、これが滋賀県では静かなブームらしいのです。

お気に召した方は一度、見に来ては如何ですか?

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