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千代田区外神田2-16

東京第3弾!

神田明神です。
御茶ノ水周辺には、有名なところが湯島聖堂の他に神田明神がありました。

隋神門です。 081013_1241

神田明神の始まりは天平2年。
武蔵国豊島郡芝崎、(現千代田区大手町将門塚周辺)に創建されたそうです。

天慶3年(940年)2月14日に平貞盛・藤原秀郷と藤原為憲の連合軍と平将門の合戦が始まり、どこからともなく飛んできた矢が将門の額に命中し、あえなく討死したと伝えられています。
そのときの首は平安京へ運ばれ、晒し首となったそうです。今でも、「京都市下京区新釜座町四条通西洞院東入ル」には、「史蹟神田神宮」というのがあり、「天慶年間平将門ノ首ヲ晒シタ所也」とあるのだとか。←今度、行ってみたいと思います。

言い伝えでは討ち取られた首は京都の七条河原にさらされたが、何ヶ月たっても眼を見開き、歯ぎしりしているかのようだったといわれています。
そして、ある時、歌人の藤六左近がそれを見て歌を詠むと、将門の首が笑い、突然地面が轟き、稲妻が鳴り始め、首が「躯をつけて一戦させん。俺の胴はどこだ」と言い、その声は毎夜響いたのだとか。
また、ある夜、首が胴体を求めて白光を放って東の方へ飛んでいったと言い伝えられています。
だから、京都には首塚がないのです。
獄門が歴史上で確認される最も古い話が、この平将門だとか。

白光を放って東の方へ飛んでいったところ。そこが、武蔵の国。
首がに帰ってきたその地に塚を築き、葬ったのが将門塚です。

その後、、将門塚の周辺で天変地異が頻繁に起こることがあり、これを将門の祟りと恐れた当時の民衆を静めるため、時宗の遊行僧・真教によって神と祀られ、延慶2年(1309年)には神田明神に合祀されることとなったのだとか。

081013_1240
   
本殿です。


                                                                                                                                     
神田明神の「かんだ」は、首を斬られて殺された将門の胴体、つまり「からだ」が変化したものという説があります。

天正18年(1590)徳川家康は江戸に幕府を置きました。その後、元和2年(1616)には現在の場所に移築、江戸城の鬼門の守護神としたそうです。

歴史って奥が深いですね~(-。-)y-゜゜゜


だいこく様081013_1246

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